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20060322, Wed.

冷蔵庫の中の野菜は新鮮さを失ってしまったか

日日ノ日キ - これから音楽に出会う若い人たちへ~ダッシュ君、そしてダッシュ君と同じ気持ちの人に向けて~

この記事、何か琴線に触れるモノがあったのでピックアップ。自分は音楽のことは何一つ分からないけれど、この人の言いたいことはなんとなく理解できる。読むべきは「公然とセクハラ」がどうとかではなくて、後半の方の文章。

さっきこのブログにも書いたけど、生活の中で他人に影響され、流行を追いかけてしまうことって多い。それは仕方のないことだし、多数派の価値観を追い求めたくなる気持ちはよく分かる。実際、自分の価値観を貫き通して集団の中で浮いてしまう事ってよくあるし、そんなことをして浮いてしまうぐらいなら、自分を押さえて周りに合わせたほうがいいと思う。

でも、何もかも他人に合わせるんじゃつまらない。別に集団から浮くとか浮かないとか、そういうことを考えなくても良い分野なら、他人の言うことなんて気にせず、純粋に自分の好きなモノに突っ込んでいけばいい。失敗して後悔するのも自分だし、もし成功したならば、その喜びは全て自分のものになる。

インターネットやテレビというメディアは、錯覚しやすい。ブラウン管や液晶ディスプレイの前でただコンテンツを眺めているだけで、色んな事を体験した気になってしまうし、何でも知っている気分になってしまう。誰の言葉だったか忘れてしまったが、「何でも知っているような顔をしている子供だけにはなって欲しくない」。

物事は誰かの手を伝っていく内に、だんだんと新鮮さを失ってしまう。シャキシャキしたキャベツも気付けば、ふにゃふにゃの葉っぱになってしまう。自分から外へ飛び出して等身大の世界を感じてこそ、ネットやテレビでは得られない、大きな楽しみを見つけることが出来るんじゃないだろうか。その分、傷ついたり後悔することも多いだろうけど。

色々なメディアが氾濫する今の時代にあって、経験してみる前から○○はダメだとか切り捨ててしまうことは多い。いわば食わず嫌い。でも本当に大切なのは、何の前提条件もない状態で、純粋に自分の価値観だけで決めること。

まだ何も分からないけれど、分からないなりに出来ることはあるはず。不器用だっていい、少しぐらい笑われたっていい、自分で触れて真正面から向き合う方が、周りの意見に惑わされるよりはおもしろいし、本当の意味での経験になる。

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僕の文章はひどく拙稚で、めちゃくちゃで、不器用だ。でも黙っているよりは、自分の言葉で何かを記した方が良いと思うから、例え自己満足でも、このエントリを投稿するんだと思う。

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Comments

矛盾ばかりの世の中、どれだけ足掻けば事は発展するんでしょうか・・・。
 
何だか色んな人が「他人と同じ」と「インスパイア(感化される)」を取り違えている様な気がします。
あくまで「感化される」のはその人を見習うなり何かして「そこから自分なりに進んでみる」事であって、
「他人が通った道を通る」って事ではないと思うのですよ。当然かもしれませんが。
 
メディアの急速な普及、それはメディアの飽食時代の到来を意味しているかも知れません。
それが故に事柄に対して物を言う。嘘でも平気で言う。
ある意味情報操作機関なんじゃないんでしょうか。
そうも考えてしまいました。

パクリが悪い訳じゃないですよ、多分。でも、誰かと同じ事をするんじゃつまらないってこと。
できたてのおいしいピザが食べたいなら、宅配を待つよりも自分で取りに行った方が良い。

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